今年2月に関西最大級の大型美術館が開館し、あらためてカルチャースポットとして注目を集める中之島(大阪市北区)。時代に応じて変貌(へんぼう)を重ねる「アートの島」の記憶を訪ねて、文化施設が立ち並ぶ一帯を歩いた。
水都・大阪の中心部に位置する中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた東西約3キロの細長い中州だ。江戸時代は河川交通の要衝として栄えて諸藩の蔵屋敷が集まり、モノや人が行き交った。明治期以降はモダン建築に彩られた近代都市の中枢として発展を遂げ、独創的な文化の営みが展開されてきた。
今年2月、高層ビル群の傍らに巨大な黒いキューブが出現した。構想から約40年を経て開館した「大阪中之島美術館」だ。近現代美術を核とした6千点超のコレクションの中に、約100年前の中之島を描いた油彩画がある。
「都市美」を掲げたまちづくり
洋画家・小出楢重の「街景」(1925年)は、ビルや工場などの巨大な近代建築と、河畔に並ぶ黒い瓦屋根の商家を対比的に描いた風景画。当時の大阪市は市域拡張などにより、人口も面積も東京市をしのぐ「大大阪の時代」を迎えていた。中でも、蔵屋敷の土地が一斉に払い下げられて官民一体の開発が進んだ中之島は、市庁舎や銀行、図書館、ホテルといった西洋風の建築が並ぶ唯一無二のモダン空間へと姿を変えた。
大阪大学の橋爪節也教授(美術史)は「それらの建物が生み出すのは、旧来の街並みとはまるで異なる最先端の都市風景。中之島を描いた画家や版画家たちの作品からは当時の驚嘆と興奮が伝わってくる」と話す。
幾何学式庭園や芝生広場が広がり、ネオ・ルネサンス様式の大阪市中央公会堂が美しくたたずむ中之島公園の一帯は、当時から特に人気だったようだ。小出も自身の随筆集に「大阪の近代的な都市風景として(中略)先(ま)ず優秀だといっていい」と記している。
大大阪時代の大阪市は「都市美」という理念を掲げて、まちづくりを進めた。大阪歴史博物館の船越幹央学芸員によると、「その理念がデザインとして具現化した一例に、中之島と対岸を結ぶ橋の数々を挙げることができる」。当時の姿をとどめる淀屋橋などを眺めると、橋の下にアーチを設けることで、橋上の水平ラインが強調されているのがよく分かる。そこには、橋の整備に中心的に関わった建築家・武田五一の思想が息づいているという。「武田は水平な橋と垂直な建物の対比によって美的な景観を作ろうと考えた。建物がさらに高層化した現在にあっても、その効果はなお生きていると感じます」
意匠を凝らした近現代建築と…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル